春の虹

利き足のヒール取られて春の虹
(ききあしのヒールとられてはるのにじ)

 

普段から、割と虹を見逃すことが多く、
友人たちがSNS等で「虹が見えた!」と
写真をアップしているのをもっぱら
指をくわえて眺めてばかりのわたしでした。

それが今日、
春の嵐が今まさに去ろうとしていた時のこと、
西の空が茜色に黄昏るのを見て、
もしや?と外に出ると、
空には視界からあふれんばかりの
大きなアーチが悠々と渡っているでは
ありませんか!
ようやく逢えた!感無量でした。

 

ところで、私たちは虹と
どんな時に出逢うことに
なっているものなのでしょうか?

偶然?
たまたま?
ここぞとばかりに?
或いは、
無数の偶然と言う必然が重なって?

 

利き足のヒール取られて春の虹

 

この句は、たまたま利き足の
ヒールの自由が
奪われてしまった瞬間に
虹に出逢った女性を詠んでみました。

ヒールのある靴を履いていることから
女性は仕事中で屋外に居り、
足早に歩いていたのかも知れません。
ひょっとしたら、
嫌なことがあって落ち込んで
足を引き摺るようにして
歩いていたのかも知れません。

いずれにしても、事件前は、
空を見上げる余裕はなかったでしょう。

利き足は意志や自己効力感の象徴。
自分の力では
どうにもならないことがあると知った時、
それらを手放し、
自分の意思からも離れて
ふと仰いだ空には
大きな春の虹があった・・・。

 

ここから、彼女の心には
どんな新しい世界が
広がっていくのでしょうか。

 

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miu
「詠むように撮り、読むように観る」をモットーに、
書く・撮る・読む・詠むを通じて、
季節やことば、そして内なる叡智とつながり、
森羅万象を思索しております。
あなたにとっても、
この場がその一助となれば幸いです。

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